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# メトロ・ゴールドウィン・メイヤー  MGM
2010/10/31 11:42
メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
 (Metro-Goldwyn-Mayer Inc.,MGM)
 アメリカの巨大マスメディア企業で主に映画やテレビ番組の製作・供給を行っている。
  
 3社の映画スタジオが1924年に合併し
    MGMスタジオ
が成立した。
 なお、MGMの名前の由来は、その3社の頭文字を取ったもので
   Metro Pictures Corporation (1915年創業)
サミュエル・ゴールドウィンの
   Goldwyn Pictures Corporation (1917年創業)
ルイス・B・メイヤーの
   Louis B. Mayer Pictures (1918年創業)
の3社。

 親会社は当時最大の劇場チェーン
    ロウズ社
だったために財力に恵まれ、製作も豪華主義で、設立当時から業界トップの地位を約束された。
 ボーイ・ワンダー(神童)とも呼ばれた
    アーヴィング・タルバーグ
の活躍に負うところが大きく心臓疾患を持ちながら24時間編集室を出ないという働きぶりで、総帥
    ルイス・B・メイヤー
と組んで初期作品を一手に手がけたものの37歳で1936年に早世した。

 最初期のミュージカル映画『ブロードウェイ・メロディ』が大ヒットし、その後も多数の所属スターによる豪華なキャスティングや豪華なセットと衣装、そして音楽をつぎ込んだ
    大作主義
でミュージカル映画全盛期の1950年代まで隆盛を極めた。
 
 メイヤーはタルバーグが亡くなった後、スタジオに独裁体制を敷き1930年代には
    芸術のための芸術
をモットーに、ライオンが咆哮するトレードマーク
    レオ・ザ・ライオン
が生まれた。

 メイヤー体制下ではジーン・ハーロウやロバート・テイラー、グレタ・ガルボ、ノーマ・シアラー、ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブルやジミー・デュランテをはじめとする多数の大スターを擁した。
 空の星の数よりも多いスターたちがいるをキャッチフレーズとした。
 また、子役スターの育成にも力を入れ、ミッキー・ルーニーやジュディ・ガーランドなどの子役を発掘し、スターに育て上げた。

 第二次世界大戦時には、メイヤーの主導でイギリス人女優のグリア・ガーソンなどが主演した戦時プロパガンダ的な作品を多数製作し、銃後からアメリカ政府や連合国を支援している。
 
 戦後に入りテレビ等の普及に伴い、巨大になりすぎた豪華な「大作主義」を中心とした方針は時代の流れに折り合わず、1960年代から次第に衰退していき1973年には配給部門を整理し
   ユナイテッド・アーティスツ (UA)
が配給権を掌握した。
 
 1986年にはテッド・ターナー率いる
   ターナー・ブロードキャスティング・システム
          (TBS、現在はタイム・ワーナー傘下)
の傘下になったが、ターナーの取引銀行はMGMの巨額の負債を理由にこの買収を支持しなかったため、実質UAの後継会社となった
   MGM/UA
を買収から74日後に再度カーコリアンに売却した。
 さらに1990年代初頭はオーナーの交代が相次ぎ、1996年に前社長で大投資家のカーク・カーコリアンが株を買い戻し、元のMGMに復帰した。
 1997年には、復興後のオライオン・ピクチャーズを傘下に収めた。
  

 2005年には、ソニーを始めとする投資家グループがMGM/UAを約6,000億円で買収(ソニーのMGM所有権は20%で非連結である)。
 北アメリカ市場においてMGMとUAの映画は
    ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント (SPE)
が配給・DVD発売をすることになった。
  
 2006年11月には、UAのトップに人気俳優のトム・クルーズと、パートナーのポーラ・ワグナーが就任。「新生UA」として2007年から映画製作を開始した。

 SONY傘下になり経営再建が急がれていたが、2010年10月29日、債権者による投票で採択された再建案により、米連邦破産法11条の適用を申請した。
 事前調整型の法的整理により、米国の新興映画制作会社
    スパイグラス・エンターテインメント
の支援で 再建を目指すこととなった。
 
 

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