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# リーマン・ブラザーズ
2013/06/03 13:45
リーマン・ブラザーズ
    
Lehman Brothers
 1850年に創立された米国ウォール街における最も長い歴史と権威を持ち合わせた投資銀行のひとつでユダヤ(ロスチャイルド)系の金融機関としてニューヨークに本社を置いている。

 日本での活動は日露戦争の戦費調達のために日本政府が発行した外債引受を行なったときからと言われています。

 最近日本などアジア方面への投資が目立ち、特に有名なのがライブドアへの投資(転換社債型新株予約権付社債)です。
 日本でのオフィスは六本木ヒルズの29~32階にあり、アジア太平洋地域の統括本部ともなっています。

 
 南北戦争では、敗戦後のアラバマ州の復興を資金面で支え、間もなく本部をニューヨークに移しました。
 1870年にはニューヨーク綿花取引所が開設され、リーマンもこれに協力、エマニュエルは同取引所の取締役を1884年まで務めました。

   
 
 この頃、リーマンは鉄道建設債券市場に参入し、現在の主力業務でもある金融アドバイザリーを開始しています。

 リーマン・ブラザーズは米連邦準備銀行(FRB)という米国の中央銀行制度が導入されたときのFRBを所有する株主になっています。
  

 リーマン・ブラザーズはクーン・ローブと合併してリーマン・ブラザーズ・クーン・ローブとなり、84年5月にシェアソンと合併してシェアソン・リーマン・ブラザーズになりました。
 
 シェアソンと合併したことで「クーン・ローブ」の名前が消えましたが、クーン・ローブとは、FRBという制度を導入した中心人物であるポール・ウォーバーグが経営した名門中の名門です。
 
 なお、ここにはジェイコブ・ヘンリー・シフとかオットー・カーンもいました。
 
 
 
 87年にはシェアソン・リーマンの株式をアメリカン・エクスプレスが6割ほど所有していた。
 
 サブプライムローンの高いリスクを背負うことで事業を拡大させたが、それに潜在していたリスクは最終的にはリーマンそのものを破滅させる原因ともなった。
  
 住宅バブルが崩壊し、ローンの焦げ付きが深刻化し2008年3月に大手証券会社で財務基盤に問題はないと繰り返し発表してきた
   ベアー・スターンズ
が事実上破綻(JPモルガン・チェースによる救済買収)した際に、株価が2日間で一時54%以上暴落した。
 
 財務基盤が盤石であったはずのリーマン・ブラザーズの流動性も懸念される事態とまでなった。
 
 その後、FRBによる証券会社への窓口貸出アクセス等の報道により株価は落着きを取り戻したかが、サブプライムローン(サブプライム住宅ローン危機)問題での損失処理を要因として、同年9月には6〜8月期の純損失が39億ドルに上り、赤字決算となる見通しを公表した。
  
  
 発表直後には株価が4ドル台にまで急落、最終的にリーマンは
   負債総額 約64兆円
という史上最大の倒産劇へと至り、リーマン・ショックとして世界的な金融危機を招く事になった。
 
 
 

 
 

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