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# デュポン
2010/04/15 09:38
デュポン
 (Du Pont、NYSE:DD
 アメリカ合衆国の総合化学会社で世界第3位の規模を誇る(アメリカでは第2位)
 なお、世界最大はBASFである。

 正式社名はE. I. du Pont de Nemours and Company
   (イー・アイ・デュポン・ド・ヌムール・アンド・カンパニー)

 本 社 ウィルミントン市(デラウェア州)

 創業は1802年でフランス出身のユグノーである
     エルテール・イレネー・デュポン
                 (1771-1834)
が創業した。
 なお、デュポン財閥はメロン財閥、ロックフェラー財閥と並ぶアメリカの三大財閥と称される。

 エルテールの祖父はユグノーの時計職人で、父は経済学者で政府の官僚にもなった
    ピエール・サムエル・デュポン・ド・ヌムール
           (Pierre Samuel du Pont de Nemours)
であった。
 フランス革命を避けて、1799年に一家でアメリカに移住
    アントワーヌ・ラヴォアジエ
に師事し化学知識があり、黒色火薬工場としてデュポン社を設立した。
 当時アメリカで生産されていた黒色火薬はきわめて粗悪であったため、ビジネスは成功した。

 また、徹底的な品質管理と安全対策、そして高品質によりアメリカ政府の信頼を勝ち取り、南北戦争で巨利をあげた。

 20世紀に入りダイナマイトや無煙火薬なども製造するようになった。

 第一次世界大戦・第二次世界大戦では火薬や爆弾を供給したほか、マンハッタン計画に参加しテネシー州のオークリッジ国立研究所でウラニウムやプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を裏で支えた。

 なお、デュポン家からは海軍軍人
    サミュエル・フランシス・デュポン
らが輩出された。
 また、デュポン家は草創期の自動車産業に着目し、1914年には
    ピエール・S・デュポン
が1908年に創業したゼネラルモーターズ (GM) に出資し、後には社長に就任した。
 彼の指揮とデュポン社の支援の下、ゼネラルモーターズは全米一の自動車会社へと成長した。

 シャーマン反トラスト法によって1912年には火薬市場の独占が、1950年代にはGM株の保有が問題視され、火薬事業の分割やGM株放出などを強いられた。

 1920年代以降は化学分野に事業を拡大し、1928年には重合体(ポリマー)の研究のために
    ウォーレス・カロザース
を雇い、彼のもとで合成ゴムやナイロンなどが発明された。 
   
   

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