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# アルゼンチン
2010/11/07 06:23
アルゼンチン共和国
 (República Argentina)
  通 称 アルゼンチン
 南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家で、西と南にチリ、北にボリビア、パラグアイ、北東にブラジル、ウルグアイと国境を接している。
 ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が大きく、世界全体でも第8位の領土面積を擁する。
 
 1880年に正式にブエノスアイレスが国家の首都と定め、内政の安定化と外国資本と移民の流入が一気に加速、イギリスの
    非公式帝国の一部
として経済の従属化が進んだ。
 また、農牧業を中心としたモノカルチャーによる奇跡と呼ばれるほどの経済発展も進んだ。
 
 ヨーロッパからの大量の移民が「洪水」のようにブエノスアイレスになだれ込み、近代的な大都市へと変貌し
   南米のパリ
とも呼ばれるようになった。
 国民主義的な政策を以て政治に望んだイリゴージェン大統領は、民主化の進展によって第一次世界大戦を中立国として政治も経済も安定に入り、イリゴージェンは1928年に再選された。
 アルゼンチンは政治と経済の運営が奏効し1929年には世界第五位の富裕国となった。
   
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 1929年の世界恐慌はアルゼンチンのモノカルチャー経済を襲い、政治は急速に不安定化した。
 政治の混乱が収束しないまま1932年にフストが大統領に就任すると、伝統的な寡頭支配層の政治が復活した。
 
 国際協調を旨としたフスト政権は1933年にイギリスとのロカ=ランシマン協定で、アルゼンチンをイギリスのスターリング・ブロックに組み込んでもらうことに成功した。
 ただし、見返りに多くの譲歩を強いられてアメリカ市場を失ってしまい、イギリスの属国の様相を呈するようになってあらゆる利権の譲歩で経済的な基盤を喪失していった。
 
 第2次世界大戦後、軍部のクーデターが繰り返し起こり、1974年に副大統領から世界初の女性大統領に昇格した妻のイサベル・ペロン(通称エビータ)は困難な政局を乗り切れないまま拙劣な政策を積み重ね、治安、経済共に悪化の一途を辿り、経済は崩壊した。
 
 

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