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# 温知政要
2010/05/20 08:19
 尾張7代藩主徳川宗春が尾張藩の藩主になる際、政策方針をまとめたもの

 江戸時代の藩主が自分の政策を書物として出版したのは宗春が初めてのこと。

 序文と21カ条から成り、儒教の精神に基づ政治の根本に「仁」をおいている。
 さらに具体的な理念として、「慈」と「忍」を掲げ、慈悲と忍耐で藩政を行うことを表明している。

 文章の中には、「無私」「私利私欲をなくす」といった言葉が目につく。
 封建杜会が確立された時代であり、その経済状況をみると、完全に硬直化し、鎖国政策を採っていた為、戦国時代の軍事力が世界最大ともいえる状況から武器を廃棄し戦闘手法などのノウハウも幕府が封印してしまったため、領土的発展の余地などはまったくなくなっていた。
 封建杜会の経済基盤の拡大の元となる領土の拡大の手足を縛ってしまったため、ここに矛盾が生じることとなり、家臣たちに
   禄高を増やしてほしい
などと要求されても、領地が拡大するようなことが鎖国政策でなくなり、応じる余裕はなくなった。
 鎖国を止め植民地を確保する動きを取らない限り、家臣の要求を満たしてやらないと不満が増加することとなり藩そのもののシステムまでが崩壊しかねない状況が日本各地で見られた。

 宗春はそれを、家臣の私利私欲を抑えることで対処しようとした。ただ、社会の進歩発展のためには、適度の私利私欲は必要であり、私利私欲がなければ向上心が湧いてこないということも真実である。

 私利私欲を完全に抑えてしまえば、そこには停滞と衰退しかないもので
     米100俵など
と禁欲が善とするような首相発言を、映像映りが良いだけでマスコミが取り上げ、経済が一向に回復しなかった現在の日本の政治状況に良く似ている。

 宗春は、庶民生活には私利私欲というものが経済の発展には必要だとわかっており、規制を排し、人々が自由に活動し楽しむ余地を拡大することで、適度な私利私欲が満たされるシステムを構想していた。
 
 徳川宗春は、名古屋の活性化となる経済拡大策を進めた。

 各企業でのリストラ、コストダウン、経賞節減が叫ばれまるで吉宗の政策が善であるとの刷り込みが行われているが、これで技術的な裏づけがある経済拡大が図られることは望めない。
 
 これに対し、宗春は、規則を必要最小限にとどめ、遊興や祭りを奨励し、消費の拡大をはかって、尾張名古屋を活況に導き、今日の愛知県の産業の基礎を作ったともいえる。

   

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