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# 鮮京織物株式会社
2011/09/23 07:59
鮮京織物株式会社
 漢城(ソウル)で織物を日本から輸入し満洲に織物輸出を行っていた
   鮮満綢緞株式会社
と日本における統制経済強化の影響で、服地の朝鮮における需要に対応できなくなったため現地生産を決意した
   京都織物株式会社
が共同出資で1940年代に朝鮮総督府の管理下にあった京畿道の水原で設立した企業。
 
 なお、京都織物株式会社は、西陣物産引立総会社織工場(1874年設立)を前身として、1887(明治20)年5月に設立、1893年(明26)商法施行に伴い定款改正し渋沢栄一を取締役会長とし京都織物(株)となった。1968年(昭43)業績悪化により解散。
  
 
 
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ひとこと
 韓国財閥でもあるSKグループ(旧 鮮京)の源流ともなる日本人が作った企業である。
  
 
     
 
   韓国財閥の興亡―癒着と相克のドラマ
 
 
   韓国財閥解体
 
 
   韓国人がタブーにする韓国経済の真実
 

 
 
 
 韓国5台財閥のひとつである
   SKグループ
の創設者の
   崔鐘建(チェジョンコン)
は鮮京織物株式会社で日本が第2次世界大戦に敗戦するまで従業員として働いていた。
 敗戦時は機械担当主任であったという。
 
 
 日本の敗戦により鮮京織物株式会社は日本人の経営者が帰国したため、崔鐘建が従業員で組織した従業員組合の委員長となり約100台の織機と従業員を抱えて自主生産を継続し管理を行った。
 
 崔鐘建は経営手腕が李承晩政権に評価されて、1953年に実施された
   帰属財産の払い下げ
を利用しこの工場を引き受けた。
 
 
 なお、1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国(韓国)大統領であった
   李承晩
が海洋主権宣言を行い、一方的に韓国政府が日本海・東シナ海に軍事境界線「李承晩ライン」を設定した。
 これにより、韓国が日本領土であった竹島を一方的に占領した。
 
 翌年、1953年(昭和28年)1月12日、韓国政府は李承晩ライン内に出漁した日本漁船の徹底した拿捕して以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件を行い日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。
 
 
 1953年の鮮京織物株式会社の払い下げにより韓国企業として「鮮京」が創業した。
 1950代から60年代前半にかけて鮮京の事業は平穏に進行した。
 1960年代後半から海外に進路を求めた
   日本資本からの技術導入
をとりいれて積極的に事業拡大に取り組んだ。
 
 1969年に日本の帝人との合弁会社としてポリエステル生産のため
   鮮京合繊
を設立、韓国最大の施設を対日借款資金を引き当てて建設した。
 1970年には伊藤忠との合弁会社として、日本からの借款による資金を利用し
   善山(ソンサン)繊維
を設立、鮮京関連会社の生地を縫製して既製服として売り出した。
 更に73年に鮮京油化、76年に鮮京化学を設立し繊維産業の関連会社を設立し地位を強化した。
 
 1972年に山林開発を目的として
   西海(ソーヘ)開発
を設立し、その後観光事業に乗り出し77年には
   ウオーカーヒル旅行社
を設立した。
 なお、ウオーカーヒルとは初代駐韓米8軍の司令官で朝鮮戦争で現地で交通事故死した
   ウオーカー将軍
を記念して建設されたソウル郊外の在韓米軍のリゾート地のこと。
 
 その後、1970年代にはいりボルト・ナットを扱う鮮京機械や自転車の鮮京サイクル、鮮京マグネット、鮮京食品、鮮京合板、鮮京マリーンといった企業を設立や買収によって傘下に加えていき本格的な財閥としての基礎を確立した。


 
  
 
 

  

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