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# ラングーン事件
2011/12/31 07:47
ラングーン事件
 1983年10月9日に、ビルマの首都ラングーンで発生したテロ事件のこと。
 
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員
   チン・モ少佐
   カン・ミンチョル上尉
   キム・チホ上尉
の3人がラングーンへ入り、ビルマを訪問中であった大韓民国(韓国)の
   全斗煥大統領一行の暗殺
を狙って、大統領一行が訪れる
   アウン・サン廟の屋根裏
に遠隔操作式のクレイモア地雷を仕掛けたもの。

 当時の韓国は経済発展と国威発揚をめざし
    1988年のソウルオリンピック
の開催を目指し、北朝鮮と親密だった
    非同盟中立諸国
に閣僚を派遣し、韓国でのオリンピック開催や、その際の参加を説得に回っていた。
 
 アフリカ諸国歴訪をはじめとする一連の歴訪は、最悪の場合は
   北朝鮮を外交的に孤立
させてしまう効果があり、金日成主席を苛立たせた。
 
 金日成は全斗煥の暗殺を計画したが、ソ連のブレジネフ政権が北朝鮮に圧力をかけ、中止している。

 1982年11月にブレジネフが亡くなり
   対アメリカ強硬派のユーリ・アンドロポフ
がソ連共産党中央委員会書記長に就任した。
 北朝鮮に有事の際の積極的支援を約束したため、金日成の長男である金正日は
   偵察局第711部隊
に命じ、全斗煥の暗殺を実行し、韓国国内で
   共産革命
が起きるか
   韓国軍が挑発
してきた場合南侵するといった計画を立案した。
 また、総指揮は、金正日の義弟で側近の張成沢の長兄にあたる張成禹が取った考えられる。

 同日午前10時25分(現地時間)に、一歩先に現地に到着した韓国の
   駐ビルマ特命全権大使
の車を、全斗煥大統領の車と間違えた実行犯による遠隔操作によって廟の天井で爆発が起こり
   21名が爆死(韓国側は副首相や外務部長官ら閣僚4名を含む17名、ビルマ側は閣僚・政府関係者4名)
負傷者は47名に及んだ。
 なお、全斗煥自身は、乗っていた車の到着が2分遅れたため、危うく難を逃れた。

 ビルマ警察の調査と追跡により、北朝鮮工作員3名は追い詰められ、銃撃戦の末に逮捕された。
 キム上尉は射殺され、チン少佐とカン上尉が重傷を負った。
 
 2人は警察に対して作戦の全貌を自供し、11月4日にビルマ政府は犯行を北朝鮮によるものと断定、3人の朝鮮人民軍軍人を実行犯として告発した。 
 
 

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