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# ムスリム同胞団
2011/02/15 19:22
ムスリム同胞団
 エジプトのスンニ派のイスラム主義組織でありエジプトの事実上の最大野党
 トルコのような世俗法ではなくイスラーム法(シャリーア)によって統治されるイスラム国家の確立を目標としている。
 現在の総指導者兼党首はムハンマド・バディーウでイスラーム主義組織としては20世紀最古にして最大の影響力を有している。
 イギリスの植民地としてトルコから独立して成立していた傀儡政権である
    ムハンマド・アリー朝
の統治下にあり、旧態依然のイスラム文化の否定と独立を目指す世俗的な民族主義が台頭した。
 
 西洋からの独立とイスラム文化の復興を掲げて1928年にイスマイリアにおいて、ハサン・アル=バンナー(Hassan al-Banna)が
    イスラームのために奉仕するムスリムの同胞たち
として結成した。
 ムスリム同胞団の運動は1940年代に隆盛したが、創設者のバンナーはファールーク1世統治下の1949年に王党派の秘密警察に暗殺されている。
 その後、1952年にナギーブやナセルやサダトの所属するエジプト自由将校団と協力して
    クーデター
を実行し王制を打倒し約2300年ぶりにエジプト民族が統治する国家となるエジプト共和国の独立を果たした。
 
 初代のエジプト大統領にはナギーブが就任した。

 ただ、実権はナセルが握っていたためナギーブ大統領にとってはナーセルが邪魔な存在となり、イスラム主義を志向する同胞団にとってもソ連の影響を受けた社会主義的な汎アラブ主義を志向するナセルは敵としての存在と立場が変化した。
 
 1954年に同胞団がナセル暗殺を謀り失敗、ナセルはナギーブを
    同胞団と共謀して暗殺を謀った
として逮捕して失脚させた。
 その後、ナセル自ら第2代大統領に就任し、同胞団を非合法化し徹底的な弾圧を開始した。
 
 多くの同胞団の指導者がナセル政権下で投獄の末に拷問・処刑されている。
 
 政府による引き締めで1960年代には組織は壊滅状態に陥った。
 同胞団の理論家であったサイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)は投獄中の苛酷な環境の中で
    思想を先鋭化
させた。これを危険視したナーセルはクトゥブを1966年に処刑すると、クトゥプとその思想は神格化されその後のイスラム過激派の思想の原点となった。

 ナセル政権下の同胞団内部ではクトゥブ主義が広まりかけたが、1970年にナセルが死去して第3代大統領にサダトが就任し、同胞団と政権との関係が改善、同胞団ではその過激な思想の排除に努め穏健路線をとることとなった。

 その結果、1970年代には同胞団の穏健路線に飽き足らないクトゥブ主義者達により、後にサーダート大統領を暗殺したジハード団やルクソール事件を起こしたイスラム集団などの少数過激派組織が誕生した。 
 
 

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