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# 「民族の聖地」とされる白頭山?
2018/09/24 06:50
 北朝鮮の朝鮮労働党機関紙、「労働新聞」は、21日付けの紙面で1面から4面にわたって
   南北首脳会談
の結果や朝鮮労働党委員長
   金正恩氏
と韓国の
   文在寅大統領
が20日、「民族の聖地」とされる白頭山にそろって登ったことなどを35枚の写真とともに伝えるとともに、南北首脳会談の結果について、「北と南が手を取り合ってもたらした貴重な成果をさらに強固にした。互いの関係を新たな平和の軌道、和解と協力の軌道へと加速度的に発展させ、統一への全盛期を開いていく画期的な転換点になった」と成果を強調した。
 
 また、両首脳が白頭山の山頂で、カルデラ湖を背景に、手をつないで頭の上に高く上げる写真を1面で大きく伝えたうえ、「民族の象徴に登り、平和と繁栄の新時代に明確な足跡を残したことは、民族の歴史に特記すべき出来事だ」として、民族の一体感を演出した。
  
 
ひとこと
 
 そもそも、白頭山は渤海が滅亡した926年までは渤海領であった。
 渤海を滅ぼした契丹(遼)の領土になった後は金の領土、モンゴル帝国の領土と変遷した。
 朝鮮族が白頭山を領有するようになったのは李氏朝鮮の
   世宗(在位:1418年 - 1450年)
の時代になってからのこと。
 この世宗は鴨緑江・豆満江沿いの要塞化を進め、白頭山は朝鮮民族と北方民族との境界とした。
 白頭山信仰については韓国でも北朝鮮でも13世紀末に高麗の高僧一然が著した
   三国遺事
が引用した(現存していない)「朝鮮古記」による「檀君神話」が国定教科書で教えられている。
  
  
 最初期の朝鮮国が白頭山で起こり、その後、平壌に遷都したというが、「三国遺事」に登場する山の名前は
   太伯山
で妙香山(北朝鮮の平安道にある山)にあたる。
 なお、朝鮮の文献における白頭山という名称の初出は「三国遺事」の第三巻に含まれる「臺山五萬真身」と「溟州五臺山寶叱徒太子傳記」に白頭山という名称があるが、これは現在の江原道内の山であって現在の白頭山のことではない。
 つまりは、ねつ造がお得意な中国と同じようなものだろう。
  

  

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