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# アップル
2009/12/16 06:49
アップル (Apple Inc.、NASDAQ: AAPL)

 クパティーノ(カリフォルニア州)に本社を置く、デジタル家電製品と関連するソフトウェア製品を設計・製造する多国籍企業

 1974年に大学を中退しアタリの技師をしていた

    スティーブ・ジョブズ

とヒューレット・パッカードに勤務していた

    スティーブ・ウォズニアック

の2人が、地元のコンピュータマニアの集まりであった

    ホームブリュー・コンピュータ・クラブ

に参加して自作のコンピューター製作を行っていた。1975年にインテルがi8080をリリースすると

    Altair(アルテア)8080

というコンピュータ・キットが早速発売されるなどパーソナルコンピューターの黎明期であった。

 ウォズニアックは、8080より、MC6800の流れを汲むMOSテクノロジー社の

    MOS 6502

のほうが優れていると考え基盤の設計を変更、1976年3月に最初のプロト機を完成させクラブでデモを行った。 

 ジョブズは、マウンテンビューにあったコンピュータショップのバイトショップのオーナーであった

    ポール・テレル

にこの基板を見せたところ、テレルは非常に強い興味を持ち、30日以内に50台を納品できたら、現金で代金を支払うとの提案をした。

 製作資金を確保するためアタリで営業をしていたロン・ウェインも株式10%分の権利を持つことを条件として参加し、基板、マニュアルなどの製作にあたった。 

 1976年6月にApple Iをバイトショップに約束どおり50台納品し

    666.66ドル

の価格がついて販売されることとなったが、当初はあまり売れ行きが良くなかった。販売不振で早々この製品の販売を見切ったロン・ウェインは権利を放棄して会社を去っていった。

 しかし、初期の製品を手に入れたユーザーの口コミで人気が出て8月を過ぎると売上は好転、ジョブズとウォズは昼夜時間を惜しんでApple Iを製造することとなり最初の取引では、約8,000ドルの利益を手にした。

 手作業ではApple Iが需要を満たすことが出来ないことから大量生産のラインを作るためにジョブズは、アタリ時代のボスであった

    ノーラン・ブッシュネル

に相談したところ、ブッシュネルはフェアチャイルドセミコンダクターとインテルのストックオプションで財を成し、若くして隠遁生活を送っていた
 
    マイク・マークラ

を紹介した。
 マークラは、ジョブズの話に興味を持ち1976年11月に個人資産の92,000ドルを投資、さらにバンク・オブ・アメリカから信用貸付枠を設定してもらうことも出来た。

 資金を確保し1977年1月3日にアップルコンピュータを法人化、1977年5月、ナショナル セミコンダクターから

    マイケル・スコット

を引き抜き、彼を社長の座につけ組織化した。 

 ウォズニアックは、アップルに注力するためにヒューレット・パッカードを退社し

    Apple Iの再設計

を開始した。
 再設計では処理能力の向上と外部ディスプレイへのカラー表示、内部拡張スロット、内蔵キーボード、データ記録用カセットレコーダを持たせたApple IIをほとんど独力で開発、価格を1,298ドルに設定し1977年4月に発表した。

 Apple IIは爆発的に売れ、1980年には設置台数で10万台、1984年には設置ベースで200万台を超え、莫大な利益をもたらした。その後、アップルは1980年に株式公開した。

 また、Apple II発売に際してApple Iは回収、無償交換キャンペーンでバージョンアップ対応した。

 Apple IIの大成功を見たIBMはパーソナルコンピュータ市場への参入を決断、1981年にIBM PCを発表した。

  

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