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# ヘンケル Henkel AG & Co.
2012/11/18 15:24
ヘンケル
  (Henkel AG & Co. KGaA)
 
 デュッセルドルフ(ドイツ)に本拠を置く多国籍企業で5大陸の125カ国に展開。
 
 洗濯用合成洗剤や食器用洗剤等の家庭用洗剤を製造するHome Care、シャンプー、歯磨き粉、染髪剤等のビューティー、口腔ケア用品を製造するPersonal Care、個人や工業向けの製品を製造するAdhesives, Sealants & Surface Treatmentの3つの部門がある。
 
 
 ヘンケルは、1876年に商人
   フリッツ・ヘンケル(当時28歳)
がアーヘンで2人の仲間とともに
   Henkel & Cie
として創業した。
 
 最初の商品として、ケイ酸塩を用いた
   汎用洗剤 Universalwaschmittel
を発売した。
 
 さらに輸出の機会と売上げを得るために、ヘンケルは1878年に本社をライン川沿いのデュッセルドルフに移した。
 当時、デュッセルドルフはルール地方への窓口になっており19世紀からドイツ帝国で最も重要な工業地帯であった。
 
 同年、初めてのドイツ語のブランド名の洗剤である
   Henkel's Bleich-Soda
を求めやすい価格で、丈夫な紙袋に入れ発売した。
 この製品はフリッツ・ヘンケル自身の研究によって水ガラスと重曹を原料に作られたものだった。
 
 フリッツは1879年に重曹を生産していたMatthes & Weberの登記上の単独オーナーとなった。
 (ヘンケルはその後、会社を1917年に買収し、1994年に売却した)
 
 Henkel's Bleich-Sodaの売上げは急激に上昇し、1年の内に賃貸の工場では需要を満たせなくなったため、線路沿いに自社工場を建設することを決意した。
 
 フリッツは洗剤以外の製品も発売することを決め、洗濯用青味剤や洗濯のり、液体洗剤、ポマード、ビーフエキス等新しい製品を1884年から販売した。

 
 ヘンケルはすぐに国際的な知名度を上げ、1886年にはオーストリアに初めて国外出店した。
 
 1912年には、デュッセルドルフで生産される製品の量は、49,890トンにもなった。
 そのうち40%は発売5年目のPersilで、19,750トンになった。

 1923年1月11日、フランスとベルギーの軍がルールを占領したため、Persilの包装に使う接着剤の購入が困難になり、自社工場で接着剤を賄うことになった。
 
 ヘンケルは接着剤の需要が高いことに気付き、1923年6月22日に初めて工場から接着剤を出荷した。
 
 第二次世界大戦中は、外国人や捕虜を労働力としたため戦後ヘンケルは多額の賠償を負担することになった。
 
 1960年代から、ヘンケルは有機化学の分野にも手を伸ばし始めた。
 1960年には
   Standard Chemical Products, Inc.
を買収してアメリカの化学製品市場に参入し、1971年にHenkel Incと改名した。
 
 ドイツ国内での接着剤の最大の競争相手だったハノーファーの
   Sichel-Werke AG
を1962年に買収した。
 
 2004年のアメリカ企業
   Dial Corporation
を買収、それまでのヘンケルの歴史で最大価格の事業となったが北アメリカ市場開拓に大きく貢献した。
  
 
 
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