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# 株式会社林原
2013/01/06 06:02
株式会社林原
 (Hayashibara Co., Ltd.
 岡山県岡山市に本社を置く
   バイオメーカー
で食品原料・医薬品原料・化学原料製品や試薬を研究・製造・販売する。
 
 メセナ事業の一環として林原美術館や林原自然科学博物館などの運営も行なっている。
 2011年に会社更生法を申請したのち、大阪市に本社を置く化学専門商社である
   長瀬産業
の支援で完全子会社となり2012年3月26日に会社更生計画は終結した。
 
 1883年(明治16年)、林原克太郎が現在の岡山市北区天瀬に
   麦芽水飴
を製造する林原商店として創業した。
 1932年(昭和7年)に法人化し株式会社林原商店に改組、林原一郎が3代目社長に就任した。
 
 林原一郎は研究開発や経営の多角化に乗り出した。
 本業の水飴製造は
   酸糖化法
による製造技術を導入し
   太陽印水飴
として日本国内から中国大陸方面に販路を拡大していった。
 
 1943年(昭和18年)に林原株式会社に社名変更した。
 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)には、岡山空襲で工場を焼失したが、終戦後すぐに工場を復興させ水飴生産量日本一を誇った。
 同時期には不動産事業にも乗り出し、JR岡山駅南に約2万坪の土地を購入している。
 
 1948年(昭和23年)に同所に本社を移転しデンプンからの各種糖質開発を事業として特許を多数取得し莫大な収益を確保してさらに新たな研究を図り研究開発型の企業へと成長していった。
 
 1961年(昭和36年)に林原健が社長に就任。
 
 
    
 
 
 自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトース、プルランなど生理活性物質の量産化に成功した。
 その後、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立している。
 
 また、美術館の開館や備中漆の復興事業、古生物学調査、類人猿の研究などメセナ事業を積極的に展開していった。
 
 1990年代以降は、甘味料などに使われる
   糖質トレハロース
抗がん剤に使われる
   インターフェロン
の生産・販売で世界市場に名乗りをあげた。

 インターフェロン 第五の奇跡―長野・岸田両博士と林原生物化学研究所の挑戦 (人間発掘)

 2010年末に一部金融機関から不正経理を指摘され、融資を受けられなくなり経営が行き詰まり2011年(平成23年)2月2日
  ・林原
  ・林原生物化学研究所
  ・林原商事
のグループ中核3社が会社更生法適用を東京地方裁判所に申請した。
 
 2012年(平成24年)2月1日、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併された。
 合併後の株式会社林原は、同年2月3日に、100%減資を行って長瀬産業(大阪市)の完全子会社となった。
 
 中核事業は株式会社林原によって事業が継続され、中核事業以外の資産や負債は太陽殖産に引き継がれた。
 

  
   
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