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2011/01/02 07:39
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日本の縄文時代前期は採取生活であったため、人口はほぼ2万人で推移したといわれている。 地球温暖化といわれている現在よりも、平均プラス2度温暖であった約6,000年前(縄文時代 中期)には26万人に増加していたようだ。(鬼頭宏氏 文化財保護委員会 1965年) これが東北地方の沖合いを蛇行して流れ低が暖流が位置を変えたのか、太陽の活動が低下したことからか平均で現在より2度低下した約2,300年前に8万人になったといわれている。 これを裏付けているのが青森県にある三内丸山遺跡における定住集落の設立と放棄という時間軸の流れが参考になる。 弥生時代の末期(300年頃)に60万人に増加した人口は、平安時代初期(794年)までに550万人に、500年で10倍近い人口爆発を起こした。 なお、平安時代は江戸時代と同様に末期(1185年)まで684万人と人口の増加が見られなかった。 その後、武士政権が繰り返された時期には、戦闘要員等の確保等と政権の安定時の人口爆発が繰り返し発生し次第に人口が増加して江戸幕府ができた頃には、2,500万人だった人口は1720年3,128万人と爆発的に増えた。 ただ、江戸中期からは寒冷化や旱魃等の天災に伴う飢饉が繰り返し発生し、それ以降、1873年3,330万人までほとんど増加しなかった。 明治以降、富国強兵政策と医療の普及・向上に伴い、新生児の死亡率の低下が起こり、2009年1.28億人までで140年で4倍弱の人口爆発をしてピークを迎えた。 日本初の戸口調査は『日本書紀』によると、崇神天皇12年(紀元前86年)に行われたとされる。 天智天皇9年(西暦670年)に税を徴収する目的から 全国戸籍「庚午年籍」 が作成されたとされるが、人数ではなく戸数の把握に留まっていた。 持統天皇4年(690年)に「庚寅年籍」が作成されると、以降6年毎に戸籍を作り直す 六年一造 が始まった。 ただ、ここで作成された戸籍は30年で破棄すれたため、断片しか残っておらず、この制度は平安時代初期まで続いた。 江戸時代に入るとキリスト教の弾圧を経て、宗門人別改帳制度が成立した。 なお、本格的な全国人口調査が始まったのは18世紀の徳川吉宗時代まで下ることとなる。 外部に資料では中国の『魏志倭人伝』で台国他七国で計15万9000戸余を数えたとしている。 PR |
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