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# 大久保 利通
2011/07/02 09:50
大久保 利通
 (文政13年8月10日(1830年9月26日)
      - 明治11年(1878年)5月14日)
 薩摩藩士 明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。
 
 薩摩国鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)に、琉球館附役の薩摩藩士
   大久保利世
と皆吉鳳徳の次女・福の長男として生まれた。
 なお、大久保家の家格は御小姓与と呼ばれる身分で下級藩士であった。
 
 弘化3年(1846年)より、藩の記録所書役助として出仕、嘉永3年(1850年)のお由羅騒動では父・利世とともに連座して罷免され謹慎処分となった。
 
 以後、大久保家は貧しい生活を強いられ、この時の借金依頼の手紙や証文が現在残る大久保の文書で最も古いものとされている。
 
 島津斉彬が藩主となると謹慎を解かれ、嘉永6年(1853年)5月に記録所に復職し、御蔵役となった。

 安政4年(1857年)10月1日、西郷とともに徒目付となり、精忠組の領袖として活動、安政5年の斉彬の死後は、失脚した西郷に代わり新藩主・島津茂久の実父・忠教(後の久光)に税所篤の助力で接近した。
 
 慶応2年(1866年)、第二次長州征討に反対、武力による新政府樹立を目指す大久保・西郷・小松は8月14日に長州藩の柏村数馬に武力政変計画を打ち明け、それを機に9月8日に京都において薩摩藩の大久保・西郷と長州藩の広沢真臣・品川弥二郎、広島藩の辻維岳が会し出兵協定である三藩盟約を結んだ。 

 10月14日、正親町三条実愛から倒幕の密勅の詔書を引き出し、岩倉ら倒幕派公家とともに、王政復古のクーデターを計画して実行した。
 明治10年(1877年)には、西南戦争で京都にて政府軍を指揮した。
 
 明治11年(1878年)5月14日、石川県士族の島田一郎・長連豪・杉本乙菊・杉村文一・脇田巧一、島根県士族・浅井寿篤により紀尾井坂にて暗殺された(紀尾井坂の変)。
 
 



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山川出版社

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