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2010/08/29 11:10
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ペプシコ (PepsiCo, Inc) アメリカ合衆国ニューヨークに本社を置く世界第2位の食品・飲料会社 また、全世界200ヶ国余りで活動する多国籍企業 有名なペプシコーラは同社の製品である。 カルビーとの業務提携の話が進んでいる。 ペプシコーラは、1894年にアメリカ合衆国ノースカロライナ州の薬剤師 ケイレブ・ブラッドハム が消化不良の治療薬として売り出した飲料に起源を発する。 消化酵素のペプシンが含有されていたので、1898年にペプシンに因んで ペプシコーラ と名前を変更した。 第一次世界大戦頃には全米25州にフランチャイズのボトリング工場を擁するまでに事業拡大した。 ただ、大戦中の砂糖相場の乱高下の打撃を受けて1922年に破綻した。 ブラッドハムはコカ・コーラ社に会社売却を依頼したが、コカ・コーラを買収したばかりだった アーネスト・ウッドラフ は、1ドルの価値もないと判断して拒否した。 その後、投資家の ロイ・メガーゲル(参考) がペプシを買収するものの、経営は振るわず1933年に再度会社売却している。 ドラッグストアとソーダ・ファウンテンの経営者でコカ・コーラと利益の分配で対立していた チャールズ・ガズ がペプシ社を買収、原液の配合をコカ・コーラに類似したものに変え、コーラの瓶より内容量の多いビール瓶に瓶詰めしてコカ・コーラと同じ値段で売る低価格戦略で攻勢に出て成功し、経営が安定した。 第二次世界大戦下では軍需品として特別扱いされたコカ・コーラに引き離されてしまったものの、コカ・コーラから移籍してきた アル・スティール によって、自動販売機での販売を開始すると再び成長軌道に乗った。 顧問弁護士であったリチャード・ニクソン副大統領の紹介で1959年にソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ書記長にペプシコーラを試飲させることに成功したことがきっかけとなり、1970年代にニクソンが大統領に就任すると、ペプシコーラはソビエト連邦政府と20年間の独占契約をした。 その後、同社のお菓子ブランドでもあるフリトレーやピザハット、ケンタッキーフライドチキン、タコベルなどを傘下におさめ、清涼飲料水以外の分野にも進出している。 なお、現在はレストラン事業はペプシコ・インクよりスピンオフし、トライコングローバルレストラン(現ヤム・ブランズ)となっている。 PR |
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