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# 中国の人口推移
2011/01/04 08:18
 中国で帝国を維持するための税と戦力を確保する目的等から戸籍が作られていた。
 
 このため、王朝の混乱、統一、繁栄、衰退を繰り返し、この度に人口爆発と人口崩壊が起きていたことがこれら資料から明らかになる。

 なお、戸籍はないものの信憑性が高い数字と言われているのが
    戦国時代(前403~前221年)
の2000万人がある。
 最初の戸籍の記録は西暦2年前漢末期で、6000万人と記録されているが、それ以前にも始皇帝が行ったもののているが秦が崩壊とともに記録が散逸してしまった事例が多い。
 
 その後、中国は動乱が続き57年後漢によって統一されたときには、歴史上最大の2000万人となるなどの人口崩壊が起きている。
 ただ、後漢が繁栄した100年後の157年の戸籍では6000万人に増加し元に戻っている。
 
 多くの場合、繁栄のピークという時点では衰退が始まっており
    6000万人を支える食料の生産
が追いつかず、飢餓と不満から全国で動乱が起き、やがて後漢は220年に滅亡し、混乱の時代が589年に隋が統一するまで不安定な勢力の攻防が繰り返され、人口崩壊が続した。
 
 なお、途中で、一時期中国を統一した西晋(265~310年)には1600万人と言う戸籍が残っており、この時も最大数から人口が3分の1以下になったことがわかる。
 
 隋の戸籍は609年4600万人、唐の戸籍が755年5300万人と回復する動きが見られる。

 中国の人口が1億人まで増加するのは明朝が滅びた後の混乱時期から清朝が成立したのちの1720年頃で1833年には4億人の戸籍が残っている。
 清の安定した政権が100年間で4倍の人口爆発を引き起こした。

 第二次世界大戦時点では現在13億人となっている。
 
 



中国の人口変動
日本僑報社
李仲生

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