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2010/10/13 18:06
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プリンス・オブ・ウェールズ (HMS Prince of Wales) 英国海軍の戦艦でキング・ジョージ5世級の2番艦である。 35.56cm(14インチ)砲を4連装2基(前部、後部に各一基)連装1基(前部に配置)の10門装備が特徴とされる戦艦 艦名はエドワード8世の即位前の称号、王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)に由来している。 キャメル・レアード社バーケンヘッド造船所にて1937年1月2日に建造を開始、1939年5月3日に進水している。 艤装途中の1940年8月にはドイツ空軍の攻撃を受けている。 本艦はチャーチル首相のお気に入りで就役直後は「世界最強」と言わせた戦艦であった。 まだ十分慣熟訓練が出来ていない中、第二次世界大戦に投入されることになる。 1941年5月24日に最初の戦闘に遭遇、大西洋に進出してきたドイツ海軍の戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンを、デンマーク海峡で巡洋戦艦フッドとともに迎え撃ち、砲撃戦を行った。 この海戦ではフッドがビスマルクの砲撃を受け、一瞬にして轟沈、プリンス・オブ・ウェールズも被弾した。 なお、ビスマルクはフランス沖で空母艦載機ソードフィッシュの雷撃で舵を損傷し行動不能になった後、イギリス艦隊の集中攻撃を受け5月27日に沈没している。 チャーチル首相の指示で日本軍南下の脅威に備えるため10月25日に東洋艦隊の旗艦としてトーマス・フィリップス中将の指揮下に入り、駆逐艦エレクトラとエクスプレスを率いてインド洋を渡った。 12月初旬にシンガポールに到着し、巡洋戦艦レパルスと合流した。 チャーチルは海軍は空母を護衛に付けるべきだととの意見を無視し、日本海軍を侮りそれを無視した。 英国の東洋艦隊への最新戦艦の投入により、日本の侵攻を阻止または断念させる事を目的としていた。 なお、日本の長門級及び新型戦艦はアメリカの主力戦艦部隊に対抗させるために同地域への投入が不可能であったことから、対抗できる水上戦力が日本にはなかった。 2線級の水上戦力ではプリンス・オブ・ウェールズに匹敵できず、マレー半島における作戦上、日本軍の作戦遂行に深刻な状況を生み出していた。 太平洋戦争開戦直後の1941年12月10日、マレー沖海戦とも呼ばれる戦闘で、日本軍の上陸を阻止するため出撃したプリンス・オブ・ウェールズは日本海軍航空機(九六式陸攻、一式陸攻)の 雷撃及び爆撃 により、僚艦レパルスと共にマレー沖にて沈没した。 万全の準備を行っていた「行動中」の戦艦が航空機の攻撃だけで撃沈された事実により、対空砲多数を装備した新式戦艦でも、航空機の攻撃には勝てない事が明らかになった。 戦略的にも、ほぼ無傷で最大の障害と見られた東洋艦隊主力が壊滅したことは、日本軍のこの方面における作戦展開で大きな意味があったと言われており、戦後、英国の植民地支配の終焉を決定付けた出来事とも言える。 なお、この撃沈の報告を聞いた首相チャーチルは あの艦が! と絶句し、戦争全体で私に直接的な衝撃を与えたことはなかったと著書の第二次世界大戦回顧録で語って檻、大英帝国の落日を早めることとなった出来事のひとつだろう。 PR |
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