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2011/09/29 07:35
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ドミートリー・アナトーリエヴィチ・メドヴェージェフ Дмитрий Анатольевич Медведев Dmitrii Anatolievich Medvedev (1965年9月14日 - ) ロシア連邦の第3代大統領(在任2008年 - ) ヴィクトル・ズブコフ内閣では第一副首相を務めた。 ソビエト連邦時代のレニングラード生まれで父アナトーリー・アファナシエヴィチ・メドヴェージェフはレニングラード技術大学の物理学教授、母ユリア・ベニアミノブナは教育大学でロシア語とロシア文学を教えていた。 大学時代は重量挙げの選手で、当時西側の退廃音楽として見なされていたロック音楽を好み、特にピンク・フロイド、ブラック・サバス、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンがお気に入りのバンドという。 1987年にレニングラード大学(現:サンクトペテルブルク大学)法学部を卒業、1990年には専門の私法分野で博士号を取得した。 1990年から1999年までサンクトペテルブルク大学で非常勤講師として教壇に立ち、法律専門家として私法の教科書を共著で執筆した。 大学時代にアナトリー・サプチャークと出会ったことがきっかけで政治に関わることになった。 1990年にサプチャークがレニングラード市ソビエト議長に就任すると、同年にメドヴェージェフは議長参事官に就任した。この時、同じく参事官だったのがウラジーミル・プーチンである。 スヴェトラーナ・リンニクと1989年に結婚した。 2008月7日、グルジア軍が南オセチアに侵攻した時はヴォルガの川下り船中で夏期休暇中であり、プーチンも北京オリンピックの式典に出席していたため、完全に間隙を突かれる形となったが、短期間で解決した。 また、アメリカが東ヨーロッパにミサイル防衛システムを配備する計画をしていることに対抗し、ヨーロッパ内にあるロシアの飛地のカリーニングラード州に地対地ミサイル「イスカンデル」を配備することを表明するなどタフな面も見せ付けた。 PR |
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