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# ファイブ・ポインツ
2010/07/24 07:49
ファイブ・ポインツとはNYの「コロンバス公園」の左端の辺りにあった地区の呼び名。
  ワースWorth(旧名Anthony)
  バクスターBaxter(旧名Orange)
  マルベリーMulberry
の三つのストリートに、現在では進路が公園で途絶えた
  モスコMosco(旧名Cross、その後Park)
そして消滅した
  リトルウォーターLittle Water」
の二つのストリートを加えた、「五つ」のストリート通りの交差点という意味で、通りが交差して出来た三角州は通称
  パラダイス・スクエア
と呼ばれていた。
 
 オランダ、イギリスの統治を経て、アメリカ独立までコロンバス公園の西側を中心に飲用水としての
  コレクト(Collect)
と呼ばれた大きな池があり周辺は湿地地帯が形成されていた。
 その後、キャナル・ストリートに沿って運河が掘削された。

 米国の独立後NYは移民により人口が増加、18世紀末から、池は生活下水で汚染され、アメリカ経済が不況となったため失業者への労働提供の必要から公共事業として池の埋め立てを開始し1813年には現在のセンター・ストリートが通るのを最後に「コレクト」池が消滅した。

 池の跡地には住居が建ったものの木材や瓦礫等を投げ込んで埋めただけのものであり、不完全な地層であったことから地盤が沈下し建物が傾き、裕福な階層は同地域を転出、入れ替わって、黒人開放奴隷や主としてアイルランド系の貧民層が増加していった。
 
 1820年頃からパラダイス・スクエアを中心に
   グロッサリー(青果店)
を看板にしたもぐりの酒場が次々と誕生し、中所得層以下の人々の歓楽街として拡大していった。

 酒の販売では喧嘩などのトラブルが起きることから用心棒として「もぐり酒場」を根城とした
   フォーティー・シーブズ(Forty-Thieves 四十人の盗賊)
などのギャング団が生まれていきました。

 ギャング団たちはそれぞれの「もぐり酒場」を根城として乱立、支配権を争って抗争を繰り返し、次第に優位にたったのが「デッド・ラビッツ」団(Dead Rabbits:死んだウサギ)と言われています。

 移民の主力は、19世紀初頭までは主として「イギリス」とその植民地からで、19世紀前半から、「アイルランド系」そして「ドイツ系」 「ユダヤ系」「イタリア系」へと移っていきました。
 
   

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